2013.06.19 Wednesday
FFFF Hynd Design / Far Field Free Friction デレク・ハインドがデザインするフィンレスボード
FFFFハインド・デザイン
デレク・ハインドがデザインするフィンレスボード
※販売ボードとは異なります。
これら8本のサーフボードは西オーストラリアの「ザ・リーフ」へのジャーニーのためにデレク・ハインドによってデザイン及びリシェープされたものである。フィンレスサーフィンと音楽のコラボレーションは「ミュージック・サーフィカ」、「グライド」そして3作目になる「ザ・リーフ」で第1章を完結しようとしている。それぞれのボードにはデレクが名前を付けたFFFFにおいて貴重な物的証拠である。
写真の左から右へ
1.‘Cheese Board’ チーズボード
6'2" x 21" x 2.5" x wide point 6 inches up of the centre.
チーズボードはザ・リーフ・プロジェクトへ旅立つ数時間前にバイロンベイのVSTRでモデファイされた。リシェープされグラッシングし直された。しかし完成系ではなかったが、エッジが鋭く削り直された。2003年以降デレクがフィンレスから得た経験を結集したボードである。チーズボードはタスマニアのキングアイランドでデレクが開催したフィンレスサーフィンのフリーコンペティション「ミュージカ・サーフィカ」のため、NSW南海岸のジェド・ダーン(ブッシュラッツサーフボード)がシェープしたものだ。チーズボードはデレクとトム・ウェゲナーとの間で議論の原因となった。ジェドは波のポケットのフェイスに最大限に張り付くためにボードのスピードを最大限に抑えるようにデザインし、それはフリーフリクション・サーフィンの逆の側面を意味していた。スピードを犠牲にして一番波が張るカールにポジション取りするためである。ウェゲナーはこの方法を好んだが、デレクは逆であった。2人は猛烈な議論を繰り返したが、結局チーズボードはスピードボードに変えることはできなかった。
2. “MUMBLES” マンブルズ
7'0" x 19.5" x 2.75" x wide point at centre.
マンブルズはデレクが1年前に、南アフリカのジェフリーズベイで最も信頼できる7フットのオールドイェラと呼ぶボードのフィンを取り除き改良された。この9ヶ月、デレクはマンブルズをあたかも生き物を見るかのように眺めていたが、結局これに乗ることはなかった。しかしザ・リーフに満ち込むことを決めたのだが、理由はバックハンド用に改良したからである。バックハンドでフィンレスを乗りこなすことは困難を極めたが、非対称の理論を用いた改良がボトムとレール全体に施された。西オーストラリアのソリッドなレフトに対応するために工夫がなされているが、実は最大の改善はグラッシングにある。マンブルズ方式と呼ぶグラッシングは、ハワイのカウアイ島でベサニー・ハミルトンとアラナ・ブランカードのコーチを務めるラッセル”マンブルズ”ルイスが開発した革新的なデッキ面の加工である。デレクはこのグラッシングは最も軽く強く、かつ紫外線も通さないと確信している。
3.‘The Italian’ ザ・イタリアン
5"8" x 24" x 3" x wide point 8 inches up from centre.
2011年、デレクと私はサーフボードを待たずにイタリアへ行った。もちろん目的はイタリアの波に乗ることだった。目的地の地中海の島へ渡ると突然うねりがやってきた。私たちの案内役イタリア人サーファーは、地元シェーパーのロバートが営むサーフラボタリーに連れて行った。そこでデレクは彼が今までにシェープした中で一番出来の悪いボードを欲した。そのボードをフィンレスにするために夜明けまでデレクのアドバイスで作業は続いた。デレクはどんなに酷いボードでもフィンを取り除き、ボトムやレールにFFFFの理論でリシェープして改善することが可能なことを証明したかったのだ。それが最悪のボードを欲した理由である。イタリア西海岸の島にはカリフォルニアのスティーマーレーンのようなライトとレフトの三角波がブレークし始め、樹脂が乾き切らないフィンレスがテストされた。速いレフトと小さめのライトは日本の湘南のビーチブレークに似ていたとデレクは言い、ボードは波に機能した。島に着いて1週間してノーズが短くリシェープされたが、結果が失敗に終わった。明らかにバックハンドでスピードがロスした。そしてザ・リーフで乗られることはなかったが、デレクはミスを犯したことを後悔はしていない。なぜならばそれもまた進化の途中には必要不可欠な実験だからだ。
4. ' Old Yella’ オールドイェラ
7’0" x 20 x 2.75" x wide point at centre. Asymmetrical swallow tail.
色褪せたこのボードは最近、オールドイェラと命名された。デレクはこのボードこそ最高のオールラウンダーと言う。2008年にジェフリーズベイ用にシェープされた7フットはデス・ソーヤーとデレクによってFFFFに改良された。シドニーのビッグウェーブで酷い目に合った経験から、今までにはない革新的なデザインが施された。1フィートから10フットまで乗りこなすためにリシェープされたが、実際にバイロンベイとジェフリーズベイで小波から大波までデレクはこのボードで乗りこなした。特にジェフリーズベイの大波では、波の斜面を横切るスピードと角度は今まで見たことのない、また想像すらしたことがなかったほど凄まじい。オールドイェラは全く新しい創造物で、不可能とされた領域を可能にした。ボトムの輪郭は、スワローテールの間に施されたコーンケーブとレールの内側の深いチャンネルが特徴である。チャンネルのエッジは鋭く尖り、センターに行くに従い滑らかになっている。このボードはデレクとチャンネルアイアランドが18ヶ月間に及ぶ研究と発展の頂点と言える。サンタバーバラで限定的に生産され始めているが、デレクは現実性を秘めた実験だと信じている。ザ・リーフではライトとレフトの両方で充分に加速を得られことが判明したので、近い将来販売される可能性もあるだろう。
5. ‘The PAT’ ザ・パット
6’6" Roundtail x 21" x 2.5" x wide point 2" below centre.
パットの名前はオーナーに由来している。オリジナルの持ち主はデーン・ピーターソンとベリンダ・バグスだ。もともとパタゴニアの宣伝のために2人はこのボードに乗っていたのでパットと呼ぶようになり「ミュージカ・サーフィカ」に参加するためにキングアイランドに持ち込まれた。そこでパタゴニアのロゴが削り取られ、テールは大きく変えられ、ノーズは完全なラウンドに変えられた。もちろんフィンは取り除かれボトムとレールも別物になった。結果ミニマル風に生まれ変わり、テールは随所で改良がされ、広くなったり狭くなったりオリジナルのデザインとは大きくかけ離れた。またソフトなチャンネルは掘れた波で容易くスリップするのでクリティカルなポジション取りには有利に働いた。元々はビギナーでも楽しめるボードだったので、これからフィンレスにトライするサーファー向けである。初めて体験するであろう自由にスライドするマニューバーは、今までとは全く異なる革新的なサーフィンだ。オリジナルは7’6”だったが、デーンが見事に切り落とした。デレクはパットでジェフリーズベイのビッグウェーブをメイクして、そのシーンはユーチューブにアップされ、世界中から膨大なアクセス数を得た。デレクはいとも簡単そうに乗りこなしているが、ここに至るには8年間の調査と研究と実験が絶え間なく繰り返し行われたということを忘れてはいけない。ジャック・マッコイの新作フィルム「ディーパー・シェード・オブ・ブルー」でも見ることができる。しかし残念なことにパットは西オーストラリアのボンバイで数枚の良い写真が撮影された後に、6フットの水圧に押しつぶされ真二つに折れてしまった。折ってしまったのは私である。オーストラリア室内オーケストラの指揮者リチャード・トニッティーのお気に理のボードだったので、その一部始終を目の当たりにして彼はとても悲しんだ。リチャードはこのボードでFFFFを習得したのだから、大切なものを失った感情は察するに偲び難い。唯一良いニュースはバイロンベイのリペアーの名人、サイモン・モルトバイがパットを進化させ修理させた点である。デレクの指示はグラッシングで重さを増し、ボトムのエッジが鋭くすることだった。その結果パフォーマンス性が著しく向上した。
6. “McTavish Blood Board” マクタビッシュ・ブラッドボード
5 ft x 3.5" x wide point ON TAIL.
マクタビッシュ・ブラッドボードは折れたロングボードをデレクと私でシンプルに前の部分をリサイクルしたもので、小波用ではなくパワーのある波用のボードだ。名前の由来は私が真っ赤なエアブラシを吹いたからで、デレクはホットドッグボードのように乗り回した。特にケープバイロンのレフトで変幻自在のバックサイドを展開した。レフトで強い、それが理由で大陸を横断してザ・リーフに持ち込まれた。
7. 'THE L BOARD' ザ・Lボード
6'6" x 20" x 2'5" x wide point centre.
デレクの親友リチャード・トニッティーのために、ザ・リーフ用にリサイクルしたボードがザ・Lボードだ。リチャードはソリッドでパワフルな掘れ上がったレフトで真価を発揮することを発見した。フィンレスはレールを立たせることで安定するが、レールを切り刻むことで、水圧が強い波でより安定する特別な仕掛けがある。それがこのボードの秘密である。
8. ‘Swallowtail Catfish’ スワローテール・キャットフィッシュ
6’6" x 19" x 2.75" x wide point 4" up from centre.
2006年に開催した「ミュージック・サーフィカ」以来、最初に大幅修正されたボードが、スワロー・キャットフィッシュだ。またジェフリーズベイで初めて撮影されたフィンレスボードで、ユーチューブで初めてデレクのフィンレスが話題になったボードでもある。
当時デレクはボトムとレールに水の抵抗を与えるためにエッジを鋭くした。あれから6年を経て、ザ・リーフに適用するようにさらなる修正が施され成功を納めた。デレクはザ・リーフにグーフィーフッターのライアン・バーチを招待したが、スピードとリリースと加速の3要素が美しいまでに結合した素晴らしいラインを描いた。このボードはフィンが初めてサーフボードに付けられた1930年代から2012年の間に失われた時間そのものだ。キャットフィッシュにエッジはナイフのように鋭く、カールにへばり付く代わりに先に進み続ける。ワイドポイントは前方にあり、デレクとライアンはフロントサイドとバックサイドの両方で自由なマニューバーを描けるようにと、キャットフィッシュ・ボードを改良した。そして2人によって完璧なまでに完成した。
デレク・ハインドがデザインするフィンレスボード
※販売ボードとは異なります。
これら8本のサーフボードは西オーストラリアの「ザ・リーフ」へのジャーニーのためにデレク・ハインドによってデザイン及びリシェープされたものである。フィンレスサーフィンと音楽のコラボレーションは「ミュージック・サーフィカ」、「グライド」そして3作目になる「ザ・リーフ」で第1章を完結しようとしている。それぞれのボードにはデレクが名前を付けたFFFFにおいて貴重な物的証拠である。
写真の左から右へ
1.‘Cheese Board’ チーズボード
6'2" x 21" x 2.5" x wide point 6 inches up of the centre.
チーズボードはザ・リーフ・プロジェクトへ旅立つ数時間前にバイロンベイのVSTRでモデファイされた。リシェープされグラッシングし直された。しかし完成系ではなかったが、エッジが鋭く削り直された。2003年以降デレクがフィンレスから得た経験を結集したボードである。チーズボードはタスマニアのキングアイランドでデレクが開催したフィンレスサーフィンのフリーコンペティション「ミュージカ・サーフィカ」のため、NSW南海岸のジェド・ダーン(ブッシュラッツサーフボード)がシェープしたものだ。チーズボードはデレクとトム・ウェゲナーとの間で議論の原因となった。ジェドは波のポケットのフェイスに最大限に張り付くためにボードのスピードを最大限に抑えるようにデザインし、それはフリーフリクション・サーフィンの逆の側面を意味していた。スピードを犠牲にして一番波が張るカールにポジション取りするためである。ウェゲナーはこの方法を好んだが、デレクは逆であった。2人は猛烈な議論を繰り返したが、結局チーズボードはスピードボードに変えることはできなかった。
2. “MUMBLES” マンブルズ
7'0" x 19.5" x 2.75" x wide point at centre.
マンブルズはデレクが1年前に、南アフリカのジェフリーズベイで最も信頼できる7フットのオールドイェラと呼ぶボードのフィンを取り除き改良された。この9ヶ月、デレクはマンブルズをあたかも生き物を見るかのように眺めていたが、結局これに乗ることはなかった。しかしザ・リーフに満ち込むことを決めたのだが、理由はバックハンド用に改良したからである。バックハンドでフィンレスを乗りこなすことは困難を極めたが、非対称の理論を用いた改良がボトムとレール全体に施された。西オーストラリアのソリッドなレフトに対応するために工夫がなされているが、実は最大の改善はグラッシングにある。マンブルズ方式と呼ぶグラッシングは、ハワイのカウアイ島でベサニー・ハミルトンとアラナ・ブランカードのコーチを務めるラッセル”マンブルズ”ルイスが開発した革新的なデッキ面の加工である。デレクはこのグラッシングは最も軽く強く、かつ紫外線も通さないと確信している。
3.‘The Italian’ ザ・イタリアン
5"8" x 24" x 3" x wide point 8 inches up from centre.
2011年、デレクと私はサーフボードを待たずにイタリアへ行った。もちろん目的はイタリアの波に乗ることだった。目的地の地中海の島へ渡ると突然うねりがやってきた。私たちの案内役イタリア人サーファーは、地元シェーパーのロバートが営むサーフラボタリーに連れて行った。そこでデレクは彼が今までにシェープした中で一番出来の悪いボードを欲した。そのボードをフィンレスにするために夜明けまでデレクのアドバイスで作業は続いた。デレクはどんなに酷いボードでもフィンを取り除き、ボトムやレールにFFFFの理論でリシェープして改善することが可能なことを証明したかったのだ。それが最悪のボードを欲した理由である。イタリア西海岸の島にはカリフォルニアのスティーマーレーンのようなライトとレフトの三角波がブレークし始め、樹脂が乾き切らないフィンレスがテストされた。速いレフトと小さめのライトは日本の湘南のビーチブレークに似ていたとデレクは言い、ボードは波に機能した。島に着いて1週間してノーズが短くリシェープされたが、結果が失敗に終わった。明らかにバックハンドでスピードがロスした。そしてザ・リーフで乗られることはなかったが、デレクはミスを犯したことを後悔はしていない。なぜならばそれもまた進化の途中には必要不可欠な実験だからだ。
4. ' Old Yella’ オールドイェラ
7’0" x 20 x 2.75" x wide point at centre. Asymmetrical swallow tail.
色褪せたこのボードは最近、オールドイェラと命名された。デレクはこのボードこそ最高のオールラウンダーと言う。2008年にジェフリーズベイ用にシェープされた7フットはデス・ソーヤーとデレクによってFFFFに改良された。シドニーのビッグウェーブで酷い目に合った経験から、今までにはない革新的なデザインが施された。1フィートから10フットまで乗りこなすためにリシェープされたが、実際にバイロンベイとジェフリーズベイで小波から大波までデレクはこのボードで乗りこなした。特にジェフリーズベイの大波では、波の斜面を横切るスピードと角度は今まで見たことのない、また想像すらしたことがなかったほど凄まじい。オールドイェラは全く新しい創造物で、不可能とされた領域を可能にした。ボトムの輪郭は、スワローテールの間に施されたコーンケーブとレールの内側の深いチャンネルが特徴である。チャンネルのエッジは鋭く尖り、センターに行くに従い滑らかになっている。このボードはデレクとチャンネルアイアランドが18ヶ月間に及ぶ研究と発展の頂点と言える。サンタバーバラで限定的に生産され始めているが、デレクは現実性を秘めた実験だと信じている。ザ・リーフではライトとレフトの両方で充分に加速を得られことが判明したので、近い将来販売される可能性もあるだろう。
5. ‘The PAT’ ザ・パット
6’6" Roundtail x 21" x 2.5" x wide point 2" below centre.
パットの名前はオーナーに由来している。オリジナルの持ち主はデーン・ピーターソンとベリンダ・バグスだ。もともとパタゴニアの宣伝のために2人はこのボードに乗っていたのでパットと呼ぶようになり「ミュージカ・サーフィカ」に参加するためにキングアイランドに持ち込まれた。そこでパタゴニアのロゴが削り取られ、テールは大きく変えられ、ノーズは完全なラウンドに変えられた。もちろんフィンは取り除かれボトムとレールも別物になった。結果ミニマル風に生まれ変わり、テールは随所で改良がされ、広くなったり狭くなったりオリジナルのデザインとは大きくかけ離れた。またソフトなチャンネルは掘れた波で容易くスリップするのでクリティカルなポジション取りには有利に働いた。元々はビギナーでも楽しめるボードだったので、これからフィンレスにトライするサーファー向けである。初めて体験するであろう自由にスライドするマニューバーは、今までとは全く異なる革新的なサーフィンだ。オリジナルは7’6”だったが、デーンが見事に切り落とした。デレクはパットでジェフリーズベイのビッグウェーブをメイクして、そのシーンはユーチューブにアップされ、世界中から膨大なアクセス数を得た。デレクはいとも簡単そうに乗りこなしているが、ここに至るには8年間の調査と研究と実験が絶え間なく繰り返し行われたということを忘れてはいけない。ジャック・マッコイの新作フィルム「ディーパー・シェード・オブ・ブルー」でも見ることができる。しかし残念なことにパットは西オーストラリアのボンバイで数枚の良い写真が撮影された後に、6フットの水圧に押しつぶされ真二つに折れてしまった。折ってしまったのは私である。オーストラリア室内オーケストラの指揮者リチャード・トニッティーのお気に理のボードだったので、その一部始終を目の当たりにして彼はとても悲しんだ。リチャードはこのボードでFFFFを習得したのだから、大切なものを失った感情は察するに偲び難い。唯一良いニュースはバイロンベイのリペアーの名人、サイモン・モルトバイがパットを進化させ修理させた点である。デレクの指示はグラッシングで重さを増し、ボトムのエッジが鋭くすることだった。その結果パフォーマンス性が著しく向上した。
6. “McTavish Blood Board” マクタビッシュ・ブラッドボード
5 ft x 3.5" x wide point ON TAIL.
マクタビッシュ・ブラッドボードは折れたロングボードをデレクと私でシンプルに前の部分をリサイクルしたもので、小波用ではなくパワーのある波用のボードだ。名前の由来は私が真っ赤なエアブラシを吹いたからで、デレクはホットドッグボードのように乗り回した。特にケープバイロンのレフトで変幻自在のバックサイドを展開した。レフトで強い、それが理由で大陸を横断してザ・リーフに持ち込まれた。
7. 'THE L BOARD' ザ・Lボード
6'6" x 20" x 2'5" x wide point centre.
デレクの親友リチャード・トニッティーのために、ザ・リーフ用にリサイクルしたボードがザ・Lボードだ。リチャードはソリッドでパワフルな掘れ上がったレフトで真価を発揮することを発見した。フィンレスはレールを立たせることで安定するが、レールを切り刻むことで、水圧が強い波でより安定する特別な仕掛けがある。それがこのボードの秘密である。
8. ‘Swallowtail Catfish’ スワローテール・キャットフィッシュ
6’6" x 19" x 2.75" x wide point 4" up from centre.
2006年に開催した「ミュージック・サーフィカ」以来、最初に大幅修正されたボードが、スワロー・キャットフィッシュだ。またジェフリーズベイで初めて撮影されたフィンレスボードで、ユーチューブで初めてデレクのフィンレスが話題になったボードでもある。
当時デレクはボトムとレールに水の抵抗を与えるためにエッジを鋭くした。あれから6年を経て、ザ・リーフに適用するようにさらなる修正が施され成功を納めた。デレクはザ・リーフにグーフィーフッターのライアン・バーチを招待したが、スピードとリリースと加速の3要素が美しいまでに結合した素晴らしいラインを描いた。このボードはフィンが初めてサーフボードに付けられた1930年代から2012年の間に失われた時間そのものだ。キャットフィッシュにエッジはナイフのように鋭く、カールにへばり付く代わりに先に進み続ける。ワイドポイントは前方にあり、デレクとライアンはフロントサイドとバックサイドの両方で自由なマニューバーを描けるようにと、キャットフィッシュ・ボードを改良した。そして2人によって完璧なまでに完成した。