FFFF Hynd Design / Far Field Free Friction デレク・ハインドがデザインするフィンレスボード
FFFFハインド・デザイン
デレク・ハインドがデザインするフィンレスボード
※販売ボードとは異なります。













これら8本のサーフボードは西オーストラリアの「ザ・リーフ」へのジャーニーのためにデレク・ハインドによってデザイン及びリシェープされたものである。フィンレスサーフィンと音楽のコラボレーションは「ミュージック・サーフィカ」、「グライド」そして3作目になる「ザ・リーフ」で第1章を完結しようとしている。それぞれのボードにはデレクが名前を付けたFFFFにおいて貴重な物的証拠である。

FFFF Hynd Design / Far Field Free Friction

写真の左から右へ 


1.‘Cheese Board’ チーズボード
6'2" x 21" x 2.5" x wide point 6 inches up of the centre.

チーズボードはザ・リーフ・プロジェクトへ旅立つ数時間前にバイロンベイのVSTRでモデファイされた。リシェープされグラッシングし直された。しかし完成系ではなかったが、エッジが鋭く削り直された。2003年以降デレクがフィンレスから得た経験を結集したボードである。チーズボードはタスマニアのキングアイランドでデレクが開催したフィンレスサーフィンのフリーコンペティション「ミュージカ・サーフィカ」のため、NSW南海岸のジェド・ダーン(ブッシュラッツサーフボード)がシェープしたものだ。チーズボードはデレクとトム・ウェゲナーとの間で議論の原因となった。ジェドは波のポケットのフェイスに最大限に張り付くためにボードのスピードを最大限に抑えるようにデザインし、それはフリーフリクション・サーフィンの逆の側面を意味していた。スピードを犠牲にして一番波が張るカールにポジション取りするためである。ウェゲナーはこの方法を好んだが、デレクは逆であった。2人は猛烈な議論を繰り返したが、結局チーズボードはスピードボードに変えることはできなかった。



2. “MUMBLES” マンブルズ
7'0" x 19.5" x 2.75" x wide point at centre.

マンブルズはデレクが1年前に、南アフリカのジェフリーズベイで最も信頼できる7フットのオールドイェラと呼ぶボードのフィンを取り除き改良された。この9ヶ月、デレクはマンブルズをあたかも生き物を見るかのように眺めていたが、結局これに乗ることはなかった。しかしザ・リーフに満ち込むことを決めたのだが、理由はバックハンド用に改良したからである。バックハンドでフィンレスを乗りこなすことは困難を極めたが、非対称の理論を用いた改良がボトムとレール全体に施された。西オーストラリアのソリッドなレフトに対応するために工夫がなされているが、実は最大の改善はグラッシングにある。マンブルズ方式と呼ぶグラッシングは、ハワイのカウアイ島でベサニー・ハミルトンとアラナ・ブランカードのコーチを務めるラッセル”マンブルズ”ルイスが開発した革新的なデッキ面の加工である。デレクはこのグラッシングは最も軽く強く、かつ紫外線も通さないと確信している。

3.‘The Italian’  ザ・イタリアン
5"8" x 24" x 3" x wide point 8 inches up from centre.

2011年、デレクと私はサーフボードを待たずにイタリアへ行った。もちろん目的はイタリアの波に乗ることだった。目的地の地中海の島へ渡ると突然うねりがやってきた。私たちの案内役イタリア人サーファーは、地元シェーパーのロバートが営むサーフラボタリーに連れて行った。そこでデレクは彼が今までにシェープした中で一番出来の悪いボードを欲した。そのボードをフィンレスにするために夜明けまでデレクのアドバイスで作業は続いた。デレクはどんなに酷いボードでもフィンを取り除き、ボトムやレールにFFFFの理論でリシェープして改善することが可能なことを証明したかったのだ。それが最悪のボードを欲した理由である。イタリア西海岸の島にはカリフォルニアのスティーマーレーンのようなライトとレフトの三角波がブレークし始め、樹脂が乾き切らないフィンレスがテストされた。速いレフトと小さめのライトは日本の湘南のビーチブレークに似ていたとデレクは言い、ボードは波に機能した。島に着いて1週間してノーズが短くリシェープされたが、結果が失敗に終わった。明らかにバックハンドでスピードがロスした。そしてザ・リーフで乗られることはなかったが、デレクはミスを犯したことを後悔はしていない。なぜならばそれもまた進化の途中には必要不可欠な実験だからだ。


4. ' Old Yella’  オールドイェラ
7’0" x 20 x 2.75" x wide point at centre. Asymmetrical swallow tail.

色褪せたこのボードは最近、オールドイェラと命名された。デレクはこのボードこそ最高のオールラウンダーと言う。2008年にジェフリーズベイ用にシェープされた7フットはデス・ソーヤーとデレクによってFFFFに改良された。シドニーのビッグウェーブで酷い目に合った経験から、今までにはない革新的なデザインが施された。1フィートから10フットまで乗りこなすためにリシェープされたが、実際にバイロンベイとジェフリーズベイで小波から大波までデレクはこのボードで乗りこなした。特にジェフリーズベイの大波では、波の斜面を横切るスピードと角度は今まで見たことのない、また想像すらしたことがなかったほど凄まじい。オールドイェラは全く新しい創造物で、不可能とされた領域を可能にした。ボトムの輪郭は、スワローテールの間に施されたコーンケーブとレールの内側の深いチャンネルが特徴である。チャンネルのエッジは鋭く尖り、センターに行くに従い滑らかになっている。このボードはデレクとチャンネルアイアランドが18ヶ月間に及ぶ研究と発展の頂点と言える。サンタバーバラで限定的に生産され始めているが、デレクは現実性を秘めた実験だと信じている。ザ・リーフではライトとレフトの両方で充分に加速を得られことが判明したので、近い将来販売される可能性もあるだろう。


5. ‘The PAT’  ザ・パット
6’6" Roundtail x 21" x 2.5" x wide point 2" below centre.

パットの名前はオーナーに由来している。オリジナルの持ち主はデーン・ピーターソンとベリンダ・バグスだ。もともとパタゴニアの宣伝のために2人はこのボードに乗っていたのでパットと呼ぶようになり「ミュージカ・サーフィカ」に参加するためにキングアイランドに持ち込まれた。そこでパタゴニアのロゴが削り取られ、テールは大きく変えられ、ノーズは完全なラウンドに変えられた。もちろんフィンは取り除かれボトムとレールも別物になった。結果ミニマル風に生まれ変わり、テールは随所で改良がされ、広くなったり狭くなったりオリジナルのデザインとは大きくかけ離れた。またソフトなチャンネルは掘れた波で容易くスリップするのでクリティカルなポジション取りには有利に働いた。元々はビギナーでも楽しめるボードだったので、これからフィンレスにトライするサーファー向けである。初めて体験するであろう自由にスライドするマニューバーは、今までとは全く異なる革新的なサーフィンだ。オリジナルは7’6”だったが、デーンが見事に切り落とした。デレクはパットでジェフリーズベイのビッグウェーブをメイクして、そのシーンはユーチューブにアップされ、世界中から膨大なアクセス数を得た。デレクはいとも簡単そうに乗りこなしているが、ここに至るには8年間の調査と研究と実験が絶え間なく繰り返し行われたということを忘れてはいけない。ジャック・マッコイの新作フィルム「ディーパー・シェード・オブ・ブルー」でも見ることができる。しかし残念なことにパットは西オーストラリアのボンバイで数枚の良い写真が撮影された後に、6フットの水圧に押しつぶされ真二つに折れてしまった。折ってしまったのは私である。オーストラリア室内オーケストラの指揮者リチャード・トニッティーのお気に理のボードだったので、その一部始終を目の当たりにして彼はとても悲しんだ。リチャードはこのボードでFFFFを習得したのだから、大切なものを失った感情は察するに偲び難い。唯一良いニュースはバイロンベイのリペアーの名人、サイモン・モルトバイがパットを進化させ修理させた点である。デレクの指示はグラッシングで重さを増し、ボトムのエッジが鋭くすることだった。その結果パフォーマンス性が著しく向上した。


6. “McTavish Blood Board” マクタビッシュ・ブラッドボード  
5 ft x 3.5" x wide point ON TAIL.

マクタビッシュ・ブラッドボードは折れたロングボードをデレクと私でシンプルに前の部分をリサイクルしたもので、小波用ではなくパワーのある波用のボードだ。名前の由来は私が真っ赤なエアブラシを吹いたからで、デレクはホットドッグボードのように乗り回した。特にケープバイロンのレフトで変幻自在のバックサイドを展開した。レフトで強い、それが理由で大陸を横断してザ・リーフに持ち込まれた。

7. 'THE L BOARD'  ザ・Lボード
6'6" x 20" x 2'5" x wide point centre.

デレクの親友リチャード・トニッティーのために、ザ・リーフ用にリサイクルしたボードがザ・Lボードだ。リチャードはソリッドでパワフルな掘れ上がったレフトで真価を発揮することを発見した。フィンレスはレールを立たせることで安定するが、レールを切り刻むことで、水圧が強い波でより安定する特別な仕掛けがある。それがこのボードの秘密である。

8. ‘Swallowtail Catfish’  スワローテール・キャットフィッシュ
6’6" x 19" x 2.75" x wide point 4" up from centre.

2006年に開催した「ミュージック・サーフィカ」以来、最初に大幅修正されたボードが、スワロー・キャットフィッシュだ。またジェフリーズベイで初めて撮影されたフィンレスボードで、ユーチューブで初めてデレクのフィンレスが話題になったボードでもある。
当時デレクはボトムとレールに水の抵抗を与えるためにエッジを鋭くした。あれから6年を経て、ザ・リーフに適用するようにさらなる修正が施され成功を納めた。デレクはザ・リーフにグーフィーフッターのライアン・バーチを招待したが、スピードとリリースと加速の3要素が美しいまでに結合した素晴らしいラインを描いた。このボードはフィンが初めてサーフボードに付けられた1930年代から2012年の間に失われた時間そのものだ。キャットフィッシュにエッジはナイフのように鋭く、カールにへばり付く代わりに先に進み続ける。ワイドポイントは前方にあり、デレクとライアンはフロントサイドとバックサイドの両方で自由なマニューバーを描けるようにと、キャットフィッシュ・ボードを改良した。そして2人によって完璧なまでに完成した。












| サーフィン情報 | 15:13 | - | - |
中古サーフボードのご案内
Used Surfboards For Sale from OZARTSURF Collection.

1 トム・ウェゲナー ロングボード 9’2” 




シングルフィンスタビライザー(センターはボックス、サイドはFCS) ブランドはヌーサのトム・ウェゲナーだが、シェープは鎌倉の巨匠、阿部博。従って日本人に向いている。薄めのレールのパフォーマンス系のロングボード。
35000円 (リペア―済み、凹みあり)



2 ラスティー・プレイセンドルファー インドガン 7’3”




カリフォルアニの名シェーパー、ラスティーのハンドシェープ。グロッシングはダイアモンド社。細めでロッカーがありサイズのある波で真価を発揮する。もちろんショートボーダー用で、長さはあってもロングボーダーでは無理。インドネシアや冬のシドニーのように掘れるリーフに最適。
15000円 (リペア―済み、凹みあり)

3 KEYO  71年シングルフィン 6’8”



マニアックなコレクターズ・ボード。シングルのオンフィン、リーシュカップは後付け。現在は見ることのできないSデッキは、当時一番加速するボードと言われたショートボード革命時代の産物。NALU元編集長がシドニーで購入したボード。ボロボロですが日本には存在しない失われた時代のデザインです。レストアーすれば凄いです。
20000円 (傷多数、凹多数あり、リペア―していない個所多数)

4 KEYO トライフィン 6’6” x 20”1/4 x 2 3/4





KEYOのハイデン・ルイスのシェープ。ハイデンはインサイトでシェープする傍ら、KEYOではエッグボードを専門にシェープする。60年代後期のエッグボードをベースに、最新テクノロジーを取り入れたモダンボードは現実的に乗りやすいので評価が高い。充分に浮力があるのでクルーズ系,または大柄なサーファーに適している。。
35000円 (傷なし、凹みデッキに少しあり)

5 ジェフ・マッコイ・シェープ“マーク・ウォーレン・モデル” 77年 6’6”



コレクターズ・ボード 2003年、アンドリュー・キッルドマンが物価高が狂気に沙汰に至り始めのニューポートを離れバイロンの山奥に移住した。「グラスラブ」が完成した年である。翌年、ニューポートを訪れ、うちで世間話をしながらピーク(ニューポートの中心的ポイント。ここからワールドチャンプのトム・キャロルや、そのトムより当時から上手いとされたデレク・ハインド、トムの兄で元WTサーファーでトラックスマガジンの編集長も務めたオーシャンマンのニック・キャロルと、凄い確率でプロを輩出している。話は長くなったが、そのアンドリューが、誰もいないピークを見て「サーフィンしよう、」キッズは学校へ行った昼前だった。私の16本近い位ボードから選んだ。私はショーン・ワイルドのグリーンのシングルフィンを薦めたが、アンドリューはボロボロのマーク・ウォーレン・モデルをピックアップした。2フット、快晴、無風、ふたりだけのピークでアンドリューは、「このボードは時代を象徴している。乗っていて伝わる。」と言った。私も何度か乗ったが、充分な浮力とシングルフィン、古典的なレールは力強い。但し体重60キロの私にはノーズを沈めることが出来ない。つまりドルフィンスルー(オーストラリアではダックダイブ)が無理なので、波の小さい日限定である。シェーパーは記されていなかった。そのボードでノースアヴァロンをサーフィンしていた時に、マーク・ウォーレン本人がいたので見せると、「ウォー、ジェフ・マッコイがシェープした俺のモデルだ!」と大喜びをした。以前マーク・ウォーレンは不動産屋をしていたことがあり、家を見に行った時、名刺を頂き、以後顔見知りになった。顔見知りと言っても相手は70年代のトッププロで数多くのコンテストで優勝した名サーファーである。現在はクイックシルバーの役員ではないかと思う。本人が言うのだから間違いない。ジェフ・マッコイが76年くらいにシェープした1本である。ボロボロなボードだったが、テールを再生したり、とりあえずは乗れる状態である。
15000円 (リペア―済み、凹み多数あり、一部再生部分あり)


6 ウェイン・リンチ セミガン 7’2” x 20 1/4 x 2”3/4



ビクトリア在住、サーフィンの神様のハンドシェープ。FCSのトライフィン。本当は売りたくのですが、もうショートボードには戻れないのです。完成された芸術なので、置いておくより誰かに乗って欲しいのであります。ミニガンですが厚さがあり、何よりも安定しています。オーストラリアでも入荷困難な1本です。
40000円 (ほとんど新品)


7 KEYO フィッシュ 6’1”





レトロフィッシュ。 ウッドのキールフィン
35000円 (リペア―済み)

8 ショーン・ワイルド フィッシュ 6’6” x 21 x 2 3/4





幅が広く厚さもある。ウッドのキールフィン。実はオリジナルのフィンシステムはFCSのトライフィンであった。センタフィンをボックスに変えシングルフィンスタビライザーにした。数年後、フィッシュテールだから古典的なツインフィンを装着して収まった。ボトムのテール部分は度重なるフィンの交換でフォームの入れ替え再強化してある。10000円 (修理改良済み)


発送費、梱包代金は実費でお願いします。
東京からの発送となります。ご希望の配達会社があればご指定ください。

梱包料金は

250cmまで3,500円 

250cm〜300cmまで3,750円

300cm以上〜4,000円  

+各地送料

またボードケースに入れて発送も可能です。



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| サーフィン情報 | 14:54 | - | - |
FISH FRY JAPAN 09
今年も開催されたFISH FRY JAPANに行ってきました。



その日東京では雨が降っていましたが、開催場所の静波では曇り→晴れで良い日を迎えました。







今年も変わったボードが出展されていて、Fishファンだけでなく、ショートボーダーやロングボーダーも熱い視線を送っていました。

その中で、今年はアライアを出しているブースが多く見られ、テストライドしているサーファーが数多く居ました。


今年は2回目という事もあり、昨年よりも来日したシェイパーは少なく感じたが、今年もリッチ・パベル氏、ダニエル・トムソン氏も参加。

我々が持ち込んだKEYOがリッチ・パベル氏の目に留まり、写真をパシャリ。
KEYOフィッシュ

我々もサーフィンを楽しみ、メローな時間を過ごしました。


| サーフィン情報 | 09:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
サンディエゴ・フィッシュについて
カリフォルニアにおけるサーフィンは、ショートボード、ロングボード、ボディーボード、ボディーサーフィン等と実に幅広く親しまれているが、フィッシュボードも忘れてはならない存在であり、カリフォルニアではフィッシュボードに乗るサーファーも少なくない。カリフォルニアにおけるフィッシュボードはオルタネーティブ系のボードを指し、サンディエゴ・フィッシュとして我々の日本でもその愛好者は増え続けている。

サンディエゴ・フィッシュの歴史を見ると、スキップ・フライは大変重要な存在である。彼はサンディエゴ・フィッシュの大御所、スタイル・マスターと称されており、スキップのサーフボードの価値は非常に高い。

スキップ フライ1

このサンディエゴ・フィッシュのオリジン(オリジナル)は、スティーブ・リズが最初に削った所から始まる。リズは元々ニーボーダーとして最も速いボードを探求、作り出したのがフィッシュ・ボードの原点である。

スキップ・フライ氏を取材、インタビューした中でスキップ氏は“サンディエゴ・フィッシュを生み出したのは、他でもないスティーブ・リズであり、僕もリズからフィッシュにおけるシェイプを学んだんだ”と答えている。スキップ・フライがスティーブ・リズからボードシェイプを学び、それを“スタンドアップ・サーフィン用”として改良〜現在のスタンダードを作り上げたのは有名な話である。

そのサンディエゴ・フィッシュはスキップ・フライ氏が現在のスタンダードを作り上げ、後の世代にその技術を伝えている。また、スキップ、ボブ・ミッツベン、ラリーメイビル等の一流シェイパーに技術が伝えられ、現在スキップ氏に一番近くに居るシェイパーがジョシュ・ホールである。

スキップ フライ&ジョシュ ホール2

スキップ フライ&ジョシュ ホール

ジョシュは幼少の頃からスキップ氏から可愛がられ、よく彼のボード倉庫から好きな板を選んでサーフィンさせてもらっていたという。又、サーフボードシェイプの技術だけでなく、その精神論を教えてもらい彼は大量生産を好まず全てハンドシェイプで生産を行っている。

ジョシュ ホール

ジョシュはスキップ氏を“第二の家族である”と言っている程、仲が良い。

スキップ フライ&ジョシュ ホール3

スキップ・フライ氏のボードに対する想いは一般的なアメリカ人と比べる事が出来ず、彼は自身のサーフボードを非常に大切に扱っており、サーフィン後は彼自身で用意したポリタンクの水でボードの砂や塩を綺麗に落とし、しっかりと水を拭きとってからボードケースに入れていた。

スキップ フライ2


そのスキップ氏にフィッシュを教えたサンディエゴ・フィッシュの考案者であるスティーブ・リズ氏も彼自身の弟子を持ち、その伝統的なサンディエゴ・フィッシュを受け継いだのがリッチ・パヴェル氏である。
リッチ パベル

パヴェルもまた、リズから受け継いだ精神、技術を惜しみなく現在はオーストラリアのダニエル・トムソンに託している。

そのオーストラリアのフィッシュは、KEYOのジョン・ギル氏もリッチ・パベル氏がKEYOのファクトリーでデレク・ハインド氏向けの板を削ったところから始まる。ジョンはサンディエゴ・フィッシュを探求し、自分の物にした。

KEYO ジョン・ギル

そういう意味では、KEYOのフィッシュはリッチ・パベルに伝授されたと言っても過言ではない。

KEYOフィッシュ

現在のKEYOサーフボードは、ジョンギルを筆頭にスキップフライ直伝のシェープを伝授されたショーンワイルド、エッグボードの継承者ハイデンの3名で全て創られる。


彼等は今年に行われたフィッシュ・フライ・ジャパン(静波)にも参加し、ダニエルも伝統的なサンディエゴ・フィッシュを受け継いでいる。

今後もサンディエゴ・フィッシュをはじめ、オーストラリアのフィッシュも日本で多く見かけるようになると思う。





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