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ファンタスティック・プラステック・マシーン
ファンタスティック・プラステック・マシーン

1968年度 USA作品 
監督 エリック&ロウエル・ブラム
1時間24分

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ファンタスティック・プラス・マシン

1960年代前半、USAのサーフィンは世界一を誇っていた。67年南カルフォルニアのサン・ディエゴでワールドコンテストが開催され、カルフォルニアでは地元のデビッド・ヌヒワのハングテンが世界一だと考えられていた。しかしオーストラリアから来た19歳のナット・ヤングが優勝。ナットが乗る短いボードはシドニーのKEYOサーフボードのボブ・マクタビッシュがデザイン・シェープした「ファンタスティック・プラステック・マシーン」というモデルだった。それまで存在しなかったマニューバーで圧倒的な勝利に導いた。

当時、USAとオーストラリアのサーフィンは競技し始めていた。オーストラリアの著名なジャーナリスト、ジョン・ウィツグはUSAサーファー誌にいかにオーストラリアのサーフィンが世界一であるかを嫌味たっぷり書き戦いを煽った。

カリフォルニア最強のチーム、ウィンダンシーにオーストラリアで勝負しようと1通の招待状がオーストラリアから届きストーリーは始まる。ウィンダンシーはスキップ・フライ、ミッキー・ムーニョス、マイク・パーパス、レデースのマーゴ・ゴッドフレイと日系のジョエル・ハマサキ等10名、ザ・ベスト・オブ・ベストが選ばれLAを出発する。(ミッキー・ドラは除く)途中フィジー、ニュージーランドをサーフトリップしながらシドニーに到着、案内役はボブ・マクタビッシュ。USAの選手達はナット・ヤングを捜すがいない。それでもコンテストは行われオーストラリアのサーフィンがいかに先を切り開いているかが歴然とした。試合後、スキップ・フライとミッキー・ムーニューズはボブ・マクタビッシュとサーフボードについて話をする。
一方、ナットはカリフォルニアから戻ると世界チャンピォンと呼ばれるようになり、サーフィンの純粋さが失われていく事に疑問を抱くようになる。人知れずサーフィンを続け自己追及する。ショートボード革命に欠かせないジョージ・グリノフも登場、ショートボードレボリューションに至る映像がハリウッドがロードムービーとして製作した稀な映画である。タイトルは当時最高のサイケデリックだ。

現在レジェンドと呼ばれるスキップ・フライ、ナット・ヤング、ボブ・マクタビッシュ、ミッキー・ムーニョス等は、近年再び注目を集めている。歴史的シェーパーとして、革命的ラインを描いたサーファーとして、そして今なお活躍している。その彼等の原点を映し出した作品はサーファーならば「見るべき1作」であろう。

出演 : スキップ・フライ、ミッキー・ムーニョス、マイク・パーパス、ミジェット・ファレリー、テッド・スペンサー、ナット・ヤング他。
ロケーション : カリフォルニア、フィジー、ニュージーランド、オーストラリア東海岸

参照 → NALU
ファンタスティック・プラステック・マシーン
| サーフフィン ムービー | 20:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
ホットバタードソウル
ホットバタードソウル
監督 ミック・ウォーター
音楽 ホワイトホース (アンドリュー・キッドマン、ニール・パーチェス・ジュニア、ティム・ゲイズ(元タマンシャッド)他
2008年度作品

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ホットバタードソウル
 
1971年シドニーのテリー・フィッジェラルドが設立した前衛的サーフボードメーカーの歴史を描いた作品。69年シドニー、71年ハワイ、76年伝説のジェフリーズベイや70年代から探索が始まった未開のインドネシアへのトリップ等、ホットバータードの歴史は、そのままオーストラリアサーフィンの歴史である。コンテスト以上に個性をモットーに選ばれた個性的なメンバーで構成されるチームは、オーストラリアは元よりテリーが旅した南アフリカ、インドネシア、南太平洋の島々、ブラジル、ヨーロッパ等で活躍する。チームライダーの個性には驚かされる。コンテストに出場せずにスタイルを波の上で表現するアーティストの集団とも言える。70年代後期から80年代コンテストに出場していた頃のデレク・ハインやドタヒチのポトのサーフィンは今見ても圧巻だ。テリー・フィッツジェラルドは今も地元シドニーのノースナラビーン、インドネシアや南太平洋、どこにいてもその日一番の波で昔と変わらぬソウルフルなマニューバーを描き続けている。「サルタン・オブ・スピード」、スピードの皇帝は永遠である。だが圧巻は1976年テリー・フィッツジェラルが滑る南アフリカ、サーフィンのクラシック、古典的名ライドである。

ホットバタードソウル2

音楽は、テリー・フィッツジェラルドのコーディネートで、アンドリュー・キッドマン、ニール・パーチェス・ジュニアに加えて「モーニング・オブ・ジ・アース」のサウンドトラックを担当したタマンシャッドのギターリスト,ティム・ゲイズが加わりバイロンベイでの長いセッションを経てホワイトホースが結成された。
このサウンドトラックはオールマンズブラザースバンドのマウンテンジャムの如き過程を経て、このフィルムを大画面で全員で見ながら録音された。ちなみに6回目の録音で全員の納得に至った。差し替え一切なし、全編1時間のインストルメンタルの大作だ。
全員でフィルムを見ながら即効で演奏された。全編のロックギターが絡み合う。

テリー・フィッツジェラルド
Terry Fitzgerald
スピードの皇帝

ホットバタードソウル6

1950年シドニー出身 テリー・フィッツジェラルドは1971年ハワイからシドニーに戻ると破産、妻は妊娠していた。金貸しから500ドル借りてVWコンビを購入、その車を担保に銀行から500ドル借りブルックヴェールに家を借りシェープを始めた。ハワイで当時のオーストラリアのボードが役に立たない事を体験すると、ハワイのピンノーズとピンテールを自分のデザインに取り入れた。テリーがシェープしたボードを見てグラッサーは「これは売れない」と判断、テールを狭めるためのウィングやレールトゥーレールの切り返しを安定させる小さなスワローテールは当時としては余りに奇抜過ぎるのが理由だった。

ホットバタードソウル4

しかしテリーには「スピードこそ全てだ」という強い確信があった。ハワイでテリーのサーフィンは世界中から注目されていたのも他と違うスピードがすでに見えていたからで、さらなるスピードの追求した。余り知られていないがその冬にテリーはディック・ブリューワーに誘われカウアイ島に家に招かれシェープの基本を伝授されていたのだ。
同年末にテリーはホットバタードを設立。名前は1969年アイザック・ヘイズのアルバム「ホットバタード・ソウル」から由来している。コンテストではベルズやスタビーズ、ハワイで優勝「スピードの皇帝」と呼ばれるまでになる。 

個性的なチームライダーを配して時代をリードした。デレク・ハインド、スティーブ・ウィルソン、ベテア・デビッド、テリーの長男と次男のジョエル&カイと個性的な顔ぶれは今も変わらない。ライダーはコンテスト主義ではなく自己のサーフィンを追求するスタイルが求められる。
大手サーフィン企業が市場拡大を努める中、ホットバタードは設立当初のファミリー・ビジネスを継続する数少ない成功例である。テリーのスタイルはサーフィンだけでなくオーストラリアの多くの独立系サーフィンインダストリーやアーティストへ大きな影響を与え続けている。
昔からサーフィンのスピードもさることながら運転も速く、波さえあればシドニー/ゴールドコースト間を最速8時間で走った。現在は山奥にまでスピードカメラが設置されておりスピード違反は確実に捕まる。それでもテリーはチューンされたワゴン車で今日も海岸線を突っ走る。

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サーフィンワールド誌2008年7月号より






Hot Buttered Soul ホットバタード・ソウル

デレク・ハインド 「サンセットビーチ、ジェフリーズベイ ビッグベルズ、そこでのテリーの存在は特別だ。パイプラインのジェリー・ロペスのようにね」

アンドリュー・キッドマン 「テリーはボードを正しく削った。それも信じ難いシェープだった。さらに マーティンがエアブラシで人々を魅了し、それは完璧なアートだった」

Sultan of Speed スピードの皇帝
1971年、テリーはディック・ブリューワーに招かれカウアイ島の自宅で新しいサーフボードのデザインについて時間を費やし理論を進化させた。圧倒的なスピードこそテリーが求めていたデザインで、ブリューワーのアウトラインとテリーのコーンケーブとウィングが試された。特にロッカーとレールは2人のアイディアが見事に融合、ショートボード革命期の最終時点での出来事である。このデザインこそ後世に大きな影響を及ぼしたミニガンのベースである。ホットバタードの設立に付いてテリー・フィッツジェラルドは「ハワイから戻ると破産して妻が妊娠した。金貸しから500ドル借りて車を買ったんだ。銀行へ行きその車を担保に500ドル借り、その500ドルでシドニーのブルックヴェールに家を借りて表をシェープルーム、裏に暮らしていた。」と当時を振り返る。1971年に設立されたホットバタードはかくして設立、そしてオーストラリアで最も革新的なサーフボードメーカーとしての道を歩み始めた。テリーのボードと言えば余りに斬新で他と違い過ぎるので最初はまともには見られていなかったのも事実である。しかし世界のメディアはハワイノースショーアーでのテリーのサーフィンを大きく取り上げ、瞬く間にホットバタードは地元ノースナラビーン一番のローカルブランドになった。金髪の爆発アフロへアーをなびかせてサンセットやワイメアのビッグウェーブを他のサーファーとは全く異なるラインを描き、スピードこそ全てと言い放った。さらにホットバタードを決定的に世界中で有名にしたのは、当時シドニー美術大学の生徒だったマーティン・ワーティンソンのアートであろう。その後サーフボード全面にエアブラシでサイケデリックなデザインを施すのが世界的流行となったが、始まりはテリーのアイディアである。

スピードを追い求める情熱はサーフボード作りに素早く反応した。70年代多くのプロサーファーは自分のボードは自分で削ったが、中でもテリーのボトムは他と決定的に違った。現在でこそ当たり前なコーンケーブだが、40年代ボブ・シモンズはボードを浮かせるためにコーンケーブを施した。ショートボード革命期にはスピードを得るためにコーンケーブの改良が加えられ、テリーこそ自らのシェープとサーフィンでそれを実証した張本人である。「スケートボードの雑誌を見ていてビックリしたんだ。プールのループで滑っていた。我々のサーフィンにはない何かをインスパイアされた。当時は誰もが異なるアプローチだった。なぜなら誰もが自分のボードは自分で削っていたからね。削ってはお気に入りのポイントで行きサーフィンする。そしてボードは自分のスタイルに合わせて改良された。だからシェーパーは有利だった。自分のサーフボードを自分で改良できる当時のサーファーには多様性があったね。サーフボードを自分好みに削れたからね。」

テリーの信条はフリーサーフィン。コンテストには熱心ではなかったが波さえあれば何処へでも素早く飛ぶ。「2000ドルかけて南アフリカへ行きコンテストで勝って500ドルを稼ぐ。経済なんか関係ない。それ自体がサバイバルだった」と当時を回想する。しかし71年にはオーストラリア・ナショナルタイトル、ベルズ、デューク・カハナモクではファイナルに残っている。翌72年もデュークでファイナリスト、そしてベルズで優勝。75年には地元ノースナラビーンでオーストラリア・ナショナルチャンピョンを獲得、ハワイのヴェルジーランドで開催されたライトニングボルト・プロコンテストでも優勝、現在のASP(当時はIPS)がスタートするとツアーの半分程度しか回らないにも関わらず総合ランキング9位、80年にはバリで初めて開催されたプロコンテストで優勝している。余りコンテストには熱心ではないと言いつつも結果を残し、しかも自分のスタイルとラインを変えずに勝てるのは見事である。また毎年1月にナラビーンで開催されるワールドプロジュニアは1980年テリーの提案でホットバタードがスポンサーになりスタートした。テリーの発想は「アンダー21が世界に出るための舞台を作ること」でありその精神は現在も変わらず引き継がれている。

古典的名作サーフフィルム「モーニング・オブ・ジ・アース」と「ファイブ・サマー・ストーリズ」でテリーの71年ハワイを見ることが出来るがそのスピードとラインには脅かされる。またクラシックフィルム「フリーライド」「チュブラースウェルズ」「ファンタシー3作には76年南アフリカ・ジェフリーズベイでのライディングが異なる角度から撮影されたがまさに歴史的ライディング、これぞ「ザ・スタイル」だ。
サーフィンのスピードのさることながら移動の速さも普通でない。昨日まで南アフリカにいたと思えば今日は日本、はたまたフランス、ブラジル、インドネシア、南太平洋の島にいる。それでも年間300日は海に入っている。ホットバタードの歴代のライダーを見れば一目瞭然だ。デレク・ハインド、スティーブ・ウィルソン、ベテア・デビッド、彼等はコンテストに関係ない世界でサーフィンを進歩させている。それも兵ばかりである。例えばデレクはフィンレスサーフィン、ベテアは巨大なチョープーでのトーインと現在も鋭角的な部分でリードしている点も見逃せない。2人の息子、カイとジョエルもコンテストとは関係ない世界で一番尖がっている。ジョエルはアンドリュー・キッドマンのフィルム「リトマス」でウェイン・リンチ大先生とサーフィンするが凍て付くヴィクトリアを裸でサーフィンしている。カイはチョープーの巨大なチューブの中でポーズする。門下生を見ればテリーの血が完全に引き継がれているのが分るであろう。

 テリー・フィッツジェラルドこそ、オーストラリア・サーフィンの時代をリードする存在である。昨年、南アフリカのジェフリーズベイを皮切りに世界各地で「ホットバタード・ソウル」が上映されているが、76年のヒストリックなライディングを始めインドネシアのシークレットポイントやタヒチでのドラマ等、斬新な映像を見る事が出来る。制作は「ビリーブ」で一躍脚光を浴びたミック・ウォーターズと「リトマス」と「グラスラブ」のアンドリュー・キッドマンである。サウンドトラックはアンドリュー等が完全オリジナルで固めているが、フランスのサーフフィルムフェスティバルで作品同様に最優秀サウンドトラックにノミネートされている。

デレク・ハンド
「テリーは私を息子のように扱ってくれた。私にとっても 昔と変わらず父のような存在だ。彼は全てを与えてくれた。見返りなんて関係なしにね。テリーに誘われ最高のボードに出会えた。」
| サーフフィン ムービー | 19:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
ストームライダース
ストーム ライダース 
監督 : ディック・ホール & ジャック・マッコイ
71分
1982年度 オーストラリア制作
★同時期に制作されたショートフィルム「コングス・アイランド」14分収録

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ストームライダース

 「ストームライダース」のコンセプトは、ニュー・プレイス、ニュー・フェイス。未開のサーフポイントをソウルサーファーが滑る。一方では1981年、歴史的大波で開催されたベルズビーチやバリ島でのコンテスト等、時代の分岐点にある瞬間も捉えている。バリ島でコンテストが開催される頃、すでにポピュラーなディストネーションとして定着、ハードコアなサーファーは更なる奥地のバージン・ウェーブを探し求めた。日本人プロが出演するニアス、グラジガンのジェリー・ロペス、「アジアの時代」が始まった。
サーフィン映画最盛期の最後に当たる80年代前半、桁外れの劇場公開成功を経て、ビデオ時代に突入。以降自宅でビデオを見る時代に入る。2001年ジャック・マッコイはシドニーのパームビーチを皮切りに世界各地で再び皆で大画面を見ながら興奮するサーフ・フィルム・フェスティバルをリバイバルさせた。音楽はドアーズの「ライダース・オン・ストーム」が使用され話題になったが、他は全てオーストラリアのバンドで固められている。メン・アット・ワークやリトルリバー・バンド、ムービング・ピクチャーズ、スプリット・エンド、チャーチ等はこれを機にアメリカに進出して世界的成功を収めてもいる。

ストームライダース01


ディック・ホールとジャック・マッコイのコンビ、ホール&マッコイは1977年「チューブラー・スウェルズ」を世に送り出した。その成功を切欠にオーストラリア・フィルム・ファウンデーションの援助25万ドルを得て(当時の日本円で約8500万円)2年を費やし、本作「ストームライダース」を制作した。ディック・ホールは2002年英国女王陛下からサーフィン・フィルムに貢献、受賞。現在もオーストラリアのサーフィン・フィルムを配給し続けている。ジャック・マッコイはビラボンにサポートされ毎年1作のペースで作品を送り出している。2005年「ブルー・ホライゾン」、最新作は「フリー・アズ・ドッグ」とディックとジャックの2人は、今現在も世界をリードするオーストラリア・サーフィン・フィルムの最前線にいる。

ストームライダース03

世界のベストポイントをベストサーファーがサーフィンする、しかも最高の時代に!
出演サーファー : ウェイン・リンチ、ジェリー・ロペス、ウェイン・ラビット・バーソローミュー、マーク・リチャード、ソートン・ファレンダー、ジョー・エンゲル、モーリス・コール、ピーター・マッケーブ、ショーン・トムソン、テリー・フィッツジェラルド、テリー・リチャードソン他。

ストームライダース05

ロケーション : ☆オーストラリア/キラ、デュランバー、バレーヘッズ、シドニー、ベルズビーチ、ブラフ
☆インドネシア/クタビーチ、クタリーフ、ヌサ・レンボンガン、パダン・パダン、ウルワツ、ニアス、グラジガン
☆ハワイ/サンセットビーチ、ワイメア、オフ・ザ・ウォール 
☆南アフリカ/ジェフリーズベイ

ストームライダース06

ストーム ライダース 07

※ ボーナス・トラック 「コングス・アイランド」
ジャック・マッコイ制作のショートフィルム。ゲーリー“コング”エルカートンが主人公のショートフィルム。ラビット・バーソローミュー、チャッピー・ジェニングスが友情出演。

コングスアイランド


ストーム ライダース 10

1 「偉大なるハワイのサーフィン一族、エディー・アイカワに捧げる」と始まる。1977年、帰らぬ人となったアイカウ一族のエディーは古代ポリネシアンの文化と伝承を再現するために、太平洋を航海していた。ホクレア号は嵐に遭難する。エディーは助けを求めて一人パドルで陸を目指したが2度と戻ることはなかった。今ではハワイアン・ビッグ・ウエーバーの偉大なる象徴としてハワイ・ワアベイでエディーを偲ぶコンテストをクイックシルバー社により開催され続けている。 

ストーム ライダース 11

2 シドニー・オーストラリア
1976年プロサーフィンが産声を上げて以来、現在のWCTに至るまでオーストラリアは常に主要なメンバーである。当時はゴールドコーストからトップが輩出されたが80年代に入るとシドニー勢がトップを取り、21世紀に入ると再びミック・ファニング、パーコ、ディーン・モリソンのクーランガッタ・ボーイズがゴーイングオフしている。それでも多くのサーフィン産業、メディアが集中するのがシドニーである。

ストーム ライダース 15

3 マーク・リチャード
79年、81年、82年3度の世界チャンピョン、マーク・リチャード(MR)と言えばツインフィン。当時のMRサーフボードが再び人気を得ているのでご存知の若いサーファーも多いかと思うが、他と全く異なるスタイルは「傷ついたカモメ」と形容された。両手を翼の様に広げながら極端なクローズドスタンスで波を舞う姿は唯一無二、今もってMRに似たスタイルのサーファーを見た事がない。最盛期のMRのフルライドは地元のニューキャスルズ、ベルズビーチ等で撮影された。

4 サイモン・アンダーソン @ビッグ・ベルズ
1981年ベルズビーチでのリップカールプロは歴史に残る大会となった。シドニーのコークプロでサイモン自らデザイン・シェープしたトライフィンで優勝、続くベルズは歴史的な15フットの大波が押し寄せる中、他と異なる圧倒的なマニューバーで優勝。これでトライフィンが世界の標準になった。その81年のコークとベルズでのサイモンの圧倒的なマニューバーこそ近代3フィン時代の幕を切って落とした。歴史的大波と察したジャックはヘリコプターをチャーターして空中からの撮影に成功、陸ではディックが16ミリのカメラで歴史を記録した。

5 ウェイン”ラビット”バーソローミュー @バーレイ
1978年世界チャンピョン、現ASP会長、ゴールドコースト出身で現在もそこに暮らすウェイン・バーソローミューのサーフィンは攻撃的だが一方では芸術的チューブをメイクする。2003年にはスナッパーからサウスキラまで続く1,6キロ続く波を2分以上かけてのり、その半分以上チューブの中にいた。30年以上世界のトップに君臨するラビットが81年キラ、バーラー、デュランバーといった地元の波を紹介している。

MR & Rabbit

6 バリ
ウルワツでの2回目のコンテスト、ジム・バンクスとテリー・リチャードソンのファイナルを中心に、オージーチームのバリでのヌサレンボンガンへのトリップ、ウルのトム・キャロル、前回優勝のテリー・フィッツジェラルドのサーフィンも収められているが、テリーのサーフィンは得点では計り得れないサーフィンのアート性がある。グレッグ・ハグリンの「ファンタシー」のジェフリーズベイ同様、テリーファンは必見、バックサイドの1本である。

7 ピーター・マッケーブ & ソートン・ファレンダー @パダンパダン
コンテストをドロップアウトしたソートン・ファレンダーは旅を続けるうちにそうサーファーの域に入りバリ滞在中のピーター・マッケーブとパダンを滑る。ピーターはジェリー・ロペスとも親交の深いハードコアなサーファーとして知られている。ソートンは波の中腹でターンをしてバックサイドでは困難なチューブをグラブレール&レイドバックでメイクする。ピーターは豪、ボトムターンから波の高いポジションをキープしてチューブイン、メイクするとすかさずスラッシュを決める。フロント&バックサイドのアート的サーフィン。

8 ショーン・トムソン @南アフリカ Jベイ

9 ジョー・エンゲル @ゴールド・コースト
トム・キャロルと同世代で競っていたジョー・エンゲルはジュニアで優勝してトッププロへの道が約束されていたサーファーである。

10 ジャパニーズ・サーファー @ニアス
1981年6月 サーフィンクラシック誌の編集長、石井秀明自ら指揮を取り添田博道、蛸操、市川武、戸倉はディック・フール、ソートン・ファレンダー、ジョー・エンゲルとマレーシアで合流。一路にニアスを目指す。勝浦ほどの湾には完璧なライトハンダーが四六時中チューブを巻き「ここがパラダイス」である事を確認、これを気にバリ島以外のアジアに目が向けられ始めた。こうしてサーフィン界は、ハワイ、カリフォルニア、オーストラリア一辺倒から一気に「アジアの時代」へ向った。この年、サイモン・アンダーソンがトライフィン(スラッシャー)で世界のサーフィンを変革したのだが、ソートンのボードはゴールドコーストの名匠デック・バン・ストラーレンがシェープした6,3’シングルフィンである。ベルズでサイモンがトライフィンで大波を制したのが3月、ニアスの撮影は6月、あえてシングルフィンを選んだソートンのサーフィンはある意味、アンチ・コンテストだったのかも知れない。

11 アジアン・パラダイス
シャロン・オニールが歌うバラード「アジアン・パラダイス」とソートン・ファレンダーのフリー・サーフィンは完全無欠にシンクロナイズした。ニアス島ラグンディーでのフリーサーフィンは最高に美しい。この章の最後のライディング、深いチューブから出てくると波のトップでレールを掴んで大きなラウンド・ハウスカットバックからバックハンドでスープに当て込むサーフィンは話題になった。

12 ハワイ
今も昔も変わらないハワイのツーリズムは偉大だ。81年、歴史に残る最大の南うねりをキャッチしたアラモアナでのシーンが収められている。多くのサーファーがワイプアウトする中、ジェリー・ロペスは完璧なライディングを見せる。

13 ノースショアーのステージ、オフザウォール、ワイメアベイ、サンセットビーチ、パイプラインを滑るショーン・トムソン、シェーン・ホラン、バテンス、マイケル・ホー、ボビー・オーエンス、そしてジェリー・ロペスのサーフィンはパーフェクトだ。

14 ジェリー・ロペス @グラジガン
当時はマイク・ボイヤムが独占していたグラジガンの1日US100ドルのサーフキャンプは、、心の平和とフル・オン・サーフィンのために毎シーズン、ジェリー・ロペスはここを訪れていた。パイプラインの雑踏を嫌いマスコミに登場しなくなっていた頃を克明に映し出している。

15 ウェイン・リンチとドルフィンズ 
ラストを飾るのはイルカである。ウェイン・リンチが人里離れたビーチでイルカと遭遇する。彼等こそ波を自在に滑るヒーローなのかも知れない。南オーストラリアと表記されているが、西オーストラリアのブラフである。今もって僻地であるが以前は完全なシークレットポイントのため実名が伏せられた。ウエイン・リンチとモーリス・コールが、キャンプ生活を通してイルカとコミュニケーションを取るようになり、まさにファイナルに相応しいメッセージである。南オーストラリアと表記されているが、西オーストラリア州のブラフ。かつて誰もここでは16mmを廻さなかった。シークレットして地名を公表する事は許されなかったので、あえて真実を伝えなかった。
| サーフフィン ムービー | 19:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
オン・エニー・モーニング
「オン・エニー・モーニング」
On Any Morning


オン・エニー・モーニング


監督 : ロドニー・サンプター
制作年度 : 1974年オーストラリア制作
時間 : 71分

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最高にワイルドでカッコいい70年代100%、パイプラインのチューブをライトニング・ボルトでマスターするジェリー・ロペス。1974年伝説のコークコンテストでのマイケル・ピーターソン(ケリー・スレーターも絶賛)等、今に強く影響を与えているサーフィンを見る事が出来る伝説のサーフィン映画。また当時のファッション、サウンドは時代が回って新鮮でもある。その証拠にこの時代のサーフボードが流行っている。

オン・エニー・モーニング イメージ

1974年当時と言えば、ヒッピー全盛から、ニューエージへ移行していた。またサーフィン界ではショートボード革命期、オーストラリアの極端に短いサーフボードとハワイのピンテールが世界を一世風靡していた。
本作はオーストラリアは元よりハワイ、USAメインランドでも劇場公開され大成功を収めた。「モーニング・オブ・ジ・アース」(1972年度)と「フリーライド」(1976年)の中間の頃をしっかり描いた名作である。特に当時の水中撮影では飛び抜けている。

オン・エニー・モーニング オリジナル ポスター

内容 ★ジェリー・ロペスが真っ赤なライトニングボルトでマスターするパイプライン★オーストラリアのビクトリア州ベルズビーチでのイースターコンテスト(リップカール)でのジェリー・ロペス、リノ・アベリラ、ジェフ・ハックマン等ハワイアンとウェイン・リンチ、ナット・ヤング等オージー勢のセッション。★ミジェット・ファレリーとピーター・ドリューエンのシドニー・シークレットでのビッグウェーブ。★74年コークコンテスト世界最初のマンツーマンのマイケル・ピーターソン ★ウェイン・リンチ、ジェリー・ロペス、ナット・ヤング、ジェフ・ハックマンが滑るバリ島ウルワツ。ナット・ヤングのリラックスしたクタリーフも貴重映像。★ニュージーランド・トリップではラグラン他のポイントの真骨頂を見る事が出来る。★ゴールドコーストのチューブ水中シーン等、見所多し。

著名人からのコメント

デレク・ハンド (サーフィンジャーナリスト)
「70年代前半、急激な進化を遂げたシングルフィン・サーフィン(ピンノーズ)の乗り方の基本がここにある。ジェリー・ロペス、ウェイン・リンチ、ナット・ヤング等の完成された芸術的サーフィンから、今、学ぶ事は多い」

ディック・ホール (サーフィン映画の巨匠の巨匠「ストームライダース」等の監督)
「70年代前半に撮影された貴重な作品だ。水中と陸から撮影のコンビネーションは今以てサーフィンを伝える大切な手段であり、74年に完成させていた点も注目に値する。」
| サーフフィン ムービー | 19:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
ビリーブ
DVD 「ビリーブ」 

ビリーブ 

2007年度 オーストラリア制作
監督 ミック・ウォーター
共同制作 アンドリュー・キッドマン
全59分 プラス ボーナス・トラック
日本語字幕付き


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出演 : デビット・ラスタビッチ、ディック・バン・ストラーレン、
ナット&ボウ・ヤング、フィッツジェラルド一家、ジョー・ラーキン、
クリス・ブロック、アンドリュー・キッドマン、ニール・パーチェス・ジュニア、
アッシュ・ペイシー、トィミー・ターナー、スティーブ・クーニー 他

サウンドトラック : アンドリュー・キッドマン、バンド・オブ・フリークエンシー、アフロディジーアクト、ボウ・ヤング、ビューティフルガールズといったオーストラリアのサーフ系及びワールドビート系サウンド

★★★★★サーファーズ・ジャーナル誌 USA
★★★★★サーファーズ・パス誌 UK 

登場するサーファーの年代が幅広い。最年少は4歳カイアス・キングから出演者最年長は62歳クリス・ブロックまで、サーフィンおけるソウル、世代伝承されるサーフィン、ライフスタイル、アートワーク等を紹介する。
サーフィンは純粋で人生の目的にさえなり得る、そんな感情がフィルムから伝わる。

カイアス キング


監督のミック・ウォーターは水中カメラマンの名手として知られている。近年ではオーストラリアの国営放送ABCが制作したツナミの被害を伝えたドキュメンタリーシリーズ、インドネシアのオーストラリアによるサーフィン史「ウル32」等、玄人好みする水中撮影は世界のトップクラスである。本作は5年の歳月を経て完成したが、サーフィンの内側を日本人の琴線に触れるタッチで描いている。チューブの中から見る一筋の光、水平線を焦がす朝夕の太陽、水中での超接近撮影、サーファーの目線、全てが音とシンクロする。人選も多彩である。

ミック・ウォーター制作

コンテストには一切出場しないソウルサーファー、音楽家として活躍するデビッド・ラスタビッチは、シェーパーのディック・バン・ストラーレン(DVS)とハンドシェープボードの魅力を力説する。「人は変わり続ける。だからシェープも変わり続ける」 DVSのボードにのるラスタのスピードとラインはは誰も真似できないアートであり、強い主張を持つライフスタイルに裏付けられている。

 スピードの皇帝、テリー・フィッジェラルド家の長男カイのサーフィンも個性的でアイリッシュの血を感じてならない。どんなポジションからテイフオフを試み挑戦を繰り返す。そして爆発的チューブをメイクスする。

カイ フィツェラルド

親子2代で世界チャンプのヤングファミリーは、ショートボード革命からロングボードの復活を一人で成し得たナット・ヤングは息子ボウに海からの知識を伝え2度のロングボードチャンプに導いた。そして音楽家としてスタートしたボウのライフスタイルは興味深い。ロングボードからフィッシュ、シングル、ボンザーと様々なボードで異なるラインを描くボウは、クラシックとパフォーマンスの両面のバランスが最も華麗なロングボードである。

ボー・ヤング

アンドリュー・キッドマンとニール・パーチェス・ジュニアはネオクラシックなスタイルで個性の大切さをアピールする。 そのリュー・キッドマンの「リトマス」から大きく変わったサーフィンフィルムに対して、USAは「スプラウト」でカリフォルニアのカッコ良さを、「ハイドロダイナミカ」で歴史をアピールした。今再びオーストラリアはサーフィンの純粋さをアピールする事で独自性を強めている。ソウルサーフィン、経済活動とは無縁のサーフィンの美しさを伝えている作品と言えるであろう。

アンドリュー キッドマン

ニール・パーチェスJr


 72年の名作「モーニング・オブ・ジ・アース」に登場したクリス・ブロックも登場する。アンゴーリー(AUS東海岸)のツリーハウスに暮らしヨガやギターがフィルムに映っていた。現在でも同じエリアに暮らし自分でシェープするボードで凄いサーフィンをしている。味のあるカッコ良いサーフィンである。

クリス ブルック

 インドネシアでの撮影は長期に渡って行われ、同じく「モーニング・オブ・ジ・アース」に登場したスティーブ・クーニーも出演。72年当時15歳で世界最初にバリのウルワツを滑ったサーファーである。今でもインドネシアに通いメンタワイやバリ以東の島々でアドベンチャーを続けている。決して有名ではないがオーストラリアのアッシュ・ペイシーとトィミー・ターナーのチューブはザ・スタイルと呼べる。

 モーニング・オブ・ジ・アース、アンドリュー・キッドマンの作品が好きな方にはお奨めの作品でしょう。
| サーフフィン ムービー | 19:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
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